言い訳

年が明けて記事を書いてから気がつくと2ヶ月も経ってしまっていた。

なんでブログを始めたったんだったかなぁ…と記憶をたぐると、どうやら文章力の向上が目的だったような気がしないでもない

しかし実際には始めてから3.4つしか記事を書かずに放置していたのである

その間プライベートが忙しかったのか、というと特にそんなこともなくそれなりにゲームをして過ごしていただけである

ならばなぜ書かなかったのか

めんどくさかったから、と言えばまあその通りなのだけれど、そればかりでも無いような気がする

文章力の向上が当初の目的であった、と書いたように私は文章を書くのがあまり得意ではない

苦手、といっていいレベルであると思う

だからブログという形で文章を書くことを自らに課したのである

私は普段からとても受動的な人間で、自ら何かを生み出すということはまるでない

たとえば面白いゲームをやったとして、「ああ、自分もこんなゲームを作りたい!」と私は思うだろう

しかしそれで終わりである

なにか作品が私から産み落とされることはない

形を持ったなにかが完成することはない

それは本を読んでも音楽を聴いても映画を見ても同じである

どこまでいっても私は消費者として作品を受け取るだけで、能動的に生産の側に回ることはない

でも、もしかしたら文章ならば、あるいは私にも生み出すことができるのではないか

もちろんそれはお話を作るとかそういう形ではないけれど、ブログという形で私から産み落とされたものというのは紛れもない事実である

100%自己満足であるとはいえ、私もなにかを生み出したかったというのもまた事実である

そう考えると、ブログを始めた目的は文章力の向上というだけでもないのではないかと思わされる

しかしいざ始めてみると、私から生み出されるのは歪なものばかり

もちろんそんなことは当たり前で、私だってわかっていたはずなのである

昔から文章を苦手としていた人間が、いきなりブログだからといってきれいに書けるはずがないのだ

わかってはいたがそれでも私は、文章を生み出すという行為を遠ざけてしまったのである

これは紛れもなく逃げである

ではなぜ逃げた人間は再び戻ってくる気になったのか

これも口で説明するのは難しいけれど、思うに私のきまぐれであると思う

つまりなんとなくまた、文章を書いてもいいかなという気分になったのである

それは自らの文章によって受けたダメージが時間経過で回復したからか、それともある種の情熱が私の胸に宿ったからか

自分自身の感情のことであるがよくわからない

でもまあ、逃げずに向き合うことにした、というとなんだか聞こえがよくてかっこいい(実際は全然そんなことないけど)のでそういうことにしておこうとも思う

何を書いているのかだんだんわからなくなってきてしまったので、この辺にしておこうとも思う

ともかくこれからは、なるべく更新頻度を上げて、ライターになって億万長者を目指そうとも思う

明けました?

明けました

 

まあ別に、なにかこれと言って特別なことをする気も書く気もないんですけど…

 

苦手なんですよね、そういうの

 

12月31日から1月1日に変わって、西暦がプラス1されたところで別に何か劇的に変わったりしないじゃないですか

 

私は同じような平坦な日が365日毎日繰り返されるのが理想なんですよね

 

だから別に大掃除とかもしないですし

 

でもせっかくブログ始めてみたんだし…

新年一発目くらいは、正月に関連することの一つでも書いてみようかな…

って思ったんです

 

だから私は、この場で聞きたいんです

明けました?って

 

で、もし明けてない人がいたら教えてください

次の正月の参考にします

 

以上です

スマブラやる以上に大切なこと、この世にありますか?

味噌汁飲むとき、絶対一口目にやけどします。

俗に言う猫舌ってやつです。

でも私7:3位の割合で犬派なんですよね。

どうかお赦しください、犬派なのに猫舌なこの哀れな私を!

 

スマブラ、すごく話題ですね。

絶対面白いですよ。

ほんとに!

 

なんでも歴代ファイター全員参戦だとか。

76人も出るらしいですよ。

ギリギリ、私の手の甲から生えてる毛の本数より多いですね。

 

私switchまだ持ってないんです。

 

で、スマブラも発売したことだしいい機会かなと思ったんですけど…

 

スマブラってほら、みんなで集まってやるじゃないですか。

私、よく考えたら友達いませんでした。

 

いや、オンライン対戦とかできるらしいじゃないですか。

それやればいいじゃんって。

 

でもオンライン対戦だと知らない人相手だし顔も見えないじゃないですか。

 

こう子供の頃、友達の家に集まってくだらないこと喋りながら、ポテチ食いながらやったような…

(私の名誉のために言わせてください!私はポテチをつかんだ手でコントローラーに触るなどという非人間的な行為は一切していません!)

 

そんな感じでやりたいんです。

 

完全にわがままです。

ないものねだりです。

 

もうあの頃には戻れません。

思い出はいつもきれいです。

記憶のなかの日々は美しく、永遠に輝きを失うことはありません。

時間の流れだけが記憶という原石を光らせることができるんです。

 

それにあの頃のような友達は二度とできないんです。

スタンドバイミーで言ってました。

 

でもやっぱりやりたいなぁ

欲しいなぁ

って思ってます。

 

たぶん近いうちに買うと思います。

 

つまりあれですよ。

 

友達同梱版のスマブラとかあったらいいんじゃないですか?

私は絶対買いませんけど。

 

以上です。

マリオ64が20年も前のゲームって本当ですか

お風呂に足を突っ込んだら、おいだきが実行されておらずとても冷たい思いをしました。

冷え性になってしまいました。今にも足の指が私の体の一部でなくなってしまいそうです。

 

名作ゲームをあまりやっていないということのほかにも、ゲームをリストアップするといくつかの新事実を発見することができました。

それは「ジャンルの偏り」です。

 

全体的に多いのは「アクション」と「RPG」の二つのジャンル。

考えてみると確かにアクションゲームは私の最も得意なジャンルである気がします。

たぶん半分くらいはアクションじゃないかな…

 

で、私はアクションゲームのどこにおもしろさを感じているのか?ということを考えると、これが結構難しくて。

しいて言うなら「キャラクターを操作する楽しさ」なのかなぁ…

画面の中のキャラクターが自分の操作に反応して動く…これは基本的にゲームというメディアならではの面白さであると思うんです。

アクションゲームのゲーム性みたいなものでしょうかね?

 

ゲーム性!!

 

自分で言っておいてナンですが、これは非常に非常に難しい言葉だと思います(笑)

ゲームとジャンルを一個一個取り上げて、これのゲーム性は?このゲームは?これは?ということをやっていくときっととても大変ですね。

ゲーム性という言葉は定義があいまいで、これ!っていう明確な答えを出すのは難しいんじゃないかなぁ…

その作品をゲームとして成立させている部分…みたいな認識かなぁ…

ゲームである必要性…

うーん…なんか違うような気がしますね(笑)

 

でもそう考えると、ゲーム性っていうものはゲームのおもしろさと近い関係にあるような感じがしませんか?

「プレイヤーの操作が反映されてキャラクターが動く」ということがアクションゲームにおけるゲーム性(ここでのゲーム性は、ゲーム特有の部分?つまりアクション映画=キャラクターを見る。一方、アクションゲーム=キャラクターを動かす)だとすると、おもしろさの基板はそこにあると思うんですよね。

 

「ノベルゲーム」は私にはあまり馴染みのないジャンルです。

昔に「シュタインズゲート」をやったくらいですね。

ここにおけるゲーム性(ゲームである必要性?)っていうのはプレイヤーの干渉っていうところかなと思います。

つまりノベル゙ゲーム゙であって小説ではない部分といいますか…

選択肢によって展開や結末が変わる、という演出はゲームだからこその部分かな、と思います。

だから私はノベルゲームって面白いと思うんですよ。ゲームとして。

オススメ教えてください。

 

何の話をしているのかわからなくなってしまいました!

そろそろやめます。

でもゲームのおもしろさというテーマはまた書きます。

 

結局何が言いたいかというとですね、任天堂って操作していて楽しい主人公を作るのがうまいなぁ…ということです。マリオとかカービィとか。

 

それだけです。

 

ドラクエは義務教育に含まれますか

毎日寒いですね。

すばらしいですね。

寒いってことは裏を返せばゲーム日和ってことですからね。

まあ私は毎日ゲーム日和ですけど。

 嘘です本当は鍋日和ですね。

 

ある時、ふと今までやったゲームをリストアップしてみようと思いつきました。

昔の記憶をたぐり寄せるという作業に苦労しつつ、完成したリストを見てあることに気がついたんです。

一般的に「名作」と言われるようなゲーム、あまりやってない?ということに。

 

なんでかわからないですけど、私は子供の時に「ドラクエ」も「FF」もやってなかったんですね。

この二つのゲームタイトルはRPGを語る上で外せないでしょう。

日本が誇るビッグタイトルですからね。

私は思いました。

これをやってない私が果たしてゲーマーを名乗って許されるのか!と。

ドラクエ」はゲーマーにとっての義務教育ではなかったのか!と。

まあ全然いいと思うんですけどね。

自称ですから。

 

別にゴダールとかヒッチコック見たことなくても、映画通を名乗るのは自由ですから。

適切な例えかどうかわかりませんが。

 

つまりゲーマーを名乗るのに明確な定義が存在しない以上(最近話題のeスポーツとかで活躍してらっしゃるプロゲーマーの方々は別ですけど)、自称するのは本人の自由な訳です。全然それで問題ないと思います。

 

 

でももし、もしもの話ですよ。

どうしてもどうしてもこのゲームをやらないとゲーマーとして認められないってことになったとしたら、真っ先に「時のオカリナ」があがると私は信じています。

私がゲーム大臣になったら、「時のオカリナ」を義務教育に入れます。

 

それだけです。

 

ちなみに私はいまだに「ドラクエ」をやったことがありません。

ゲーマーとしてのサガ、とか抜きで面白そうだからやってみたいんですよね。

どれからやればいいんでしょうか。

 

 

 

ゲームとカレー

こんにちは。

このブログでは主にゲームについて書いていきたいと思います。

初めてのブログですが頑張りますので、どうかよろしく。

 

ブログタイトルは私という人間を構成している二大要素からとりました。

つまり私からカレーをとるとゲーム人間になって、ゲームをとるとカレー人間になるということです。すばらしいですね。

まあ実際はロン毛人間ですが。

 

さらに私は筋金入りのテキトー人間でもあります。

よく「何を言ってるのかわからない」と言われます。

そんなわけでブログもワケわからない感じになってしまうかも。

テキトーな気持ちで読み流していただけると幸いです。